世間にはびこる「脱ヲタ指南」、しかし、それを実践して脱ヲタ出来る者は少ない。何故なのか?
このブログが何を目指しているのか最近自分でもイマイチわかっていない気もするのですが、少なくともいわゆる「脱ヲタ指南」を専門的にやっている自覚はないです。
しかし脱ヲタに役に立つ情報が盛り込まれているのも確かでしょう。
「脱ヲタ指南ブログ」
このようにはなりたくないという思いが、どこかにあるのは確かなのです。
一方でこのブログ、ファッションをメインに展開しているものの敷居の高い「完全にファッショナブルなブログ」は全く目指していないのも事実。
ファッショナブルなブログは、いかにも避けそうな話題にも読者が面白いと感じてくれるならば平気で突撃していくことをモットーにしているブログです。
いつかこの話題に触れなくてはいけないんだろうな、とは思っていました。
そんな折、トレンド入りしていたこの本。
とてつもない勢いでこの本がファボられているのを見て、これはとうとうこのブログも「脱ヲタ」に触れねばならないなと思ったわけです。
(要は便乗です)
なお、当たり前ですが発売前のこの本についてとやかく言う記事ではありません。
それは発売後になるでしょう(レビューするかどうかは不明)
あ、その前に親しみを込めてこの記事では「オタク」ではなく「ヲタク」で統一したいと思います。
ナル男はヲタクを蔑視する気はさらさらありませんし、ナル男をヲタクと呼んでもらっても全く構いません。
1つの生き方だと思いますし。
「 脱ヲタ」という言葉が嫌い
最初に言っておくとナル男はこの「脱ヲタ」という言葉が余り好きではありません。
1つは、脱ヲタという言葉が多義的になりすぎてもはや何のことを指しているのかわからなくなっていること。
当然、「ヲタクであることを脱すること、辞めること」や「ヲタクのように見られる格好(ファッション)を脱すること」を指すのは分かるのですが、
「脱ヲタっぽいよね」となるともはや広範囲すぎて何を言っているのか分かりません。
「中二病」という言葉が今や「厨二病」となり、もはや「痛い行動」はなんでもかんでも厨二病と診断されかねないくらい多義的な広がりを見せていることと似ています。
ファッションに関する某巨大掲示板などでは「脱ヲタが好きそう」とか飛び交っていますが、
もはやこうなるとニュアンスとしては分からなくもないですが「ダサいものはとりあえず脱ヲタって言っておけ」的な「なんでもあり」な気がして、言葉としてとらえどころがありません。
さらにそこはかとなく漂う「他人を馬鹿にしてやろう」というニュアンス、「どうせ俺なんてヲタだし」という自虐感がネガティブであまり好きではないのです。
別にヲタだって良いじゃないか、と基本的には思うわけです。
ナル男もアイドルとか好きですし。
夢中になれる、好きなものがあるって素敵なことだと思うんですよね。
大抵「ヲタクが~」とか馬鹿にしてる人ってそういう物が無くて言っている部分もあるだろうし。
脱ヲタを「普通」とか「平均」とすると簡単に出来てしまう?
まあそれはさておき、「ファッション的にヲタクに見られない格好をすること」を「脱ヲタ」と定義して話を進めていくと、あることに気が付きます。
「ヲタクに見られない格好」などというのはある意味簡単だとも思うのです。
この手の議論でスナップ写真などを「晒しあげる」という行為が好きではないので、
インターネットフリー素材(条件を満たせば自由に使える画像)からモデルの方を持ってきました。
これはおそらく「若い普通の男性」をあえてイメージして撮られた写真だと思います。
その人の「趣向」が表現されているわけではないため、これを素材に話を進めましょう。
どうでしょうか?
彼を「どれくらいカッコいいと思うか?」という話は各人の趣向が反映されてしまうので議論を呼んでしまうでしょうが
彼を「ファッション的にヲタクに見える」ということはよほどひねくれていない限り無いと思います。
(実はこのパンツは、折り返すとスソ部分からチェック柄が見える非常に「ヲタクっぽいファッション」なのですが、今はそれが見えないので、それは無いという前提でいきましょう)
こう言ってはなんですが、「この程度のファッション」は、「ヲタクが好むとされているアイテム」を徹底的に避けていけば「普通に」到達出来るのではないでしょうか?
ナル男は全くオススメしませんが、大山旬氏あたりの著作を参考にすれば簡単に「脱ヲタ」出来るはずなのです。
スポンサーリンク
引き上げられる「ダサい」のハードル
しかしおそらく、このような格好が「お洒落だね!」と積極的に褒められることもあまり無い気がします(褒めるのが上手い女性は除きますが)。
おそらく某巨大掲示板あたりに「俺の格好お洒落だろ?」などというタイトルで先ほどの画像を貼り付ければ罵詈雑言の嵐でしょうが、
一番多いのは「脱ヲタっぽいね」という反応なはずです。
すなわち、ヲタクを脱するために、「裏返すとチェック柄」や「全身黒づくめ」のような「勘違いファッショナブル」的な要素を徹底的に排除していった結果「無難」「普通」の格好に到達し
「ヲタクには見られない格好」を達成したとしても
今度は「脱ヲタっぽい」という新たな概念にぶち当たってしまうのです。
そして「脱ヲタっぽい」というのは、前述のとおり多義的過ぎる様相を見せているわけですが、要は「ヲタっぽくは見えないけど、お洒落でもない」ということを指すのではないでしょうか。
インターネット社会で、ありとあらゆるルックス的ハードルが引き上げられた結果、
「無難だけどお洒落ではない」というまさに「普通の格好」はもはや
「ダサい」という括りに入れられてしまうわけです。
このハードルを超えられないことを「脱ヲタ失敗」と見るか見ないかです。
インターネットによって引き上げられたハードルをどう見るか?
インターネットというのは自信のある人は積極的に自分を晒し、そうではない者は 「自分を高く見せる」傾向のあるメディアです。
身長180cmや年収1000万がごろごろいて、学歴で言うとMARCHあたりが「普通」と言われる世界です。
その結果何が起こるかというと「普通」がやたら引き上げられます。
この引き上げられた「普通」に惑わされず、当初の定義通り「ファッション的にヲタクに見られない格好を目指す」のであれば簡単に「脱ヲタ」成功出来るはずです。
はっきり言ってしまうと、ネット上で「脱ヲタっぽいね」と言っている人たちも実際会うと大したことがないことがほとんどだと思います。
「お前もできてないじゃん」
というようなケースも頻発するはずです。
休日電車に乗って見てください。
そして同じ車両を見渡して見てください。
お洒落だなと思う人は何人いるでしょうか?
ヲタっぽいと思う人は?
普通・無難だなと思う人は?
日本人が劇的にお洒落になった実感など無いはずです。
果たして自分の目指すべきラインはどこなのか?
それをまず見定めないと永遠に「脱ヲタ産業」にお金を払い続けることになりかねません。
なぜなら「脱ヲタ産業」はある意味「ループ地獄」でもあるからです。
脱ヲタ産業の真摯性という問題点
何故脱ヲタ本を読んでも脱ヲタ出来ないのか?の前に、脱ヲタ産業の問題点に触れざるを得ません。
「脱ヲタ」というワードで検索すると、脱ヲタクファッションガイドの人のサイトが出てきて、ちらっと読んでみたのですが、おそらくどの脱ヲタビジネスの方よりも真摯にやっているというのが伝わってきました。
なのでこの著者の方を批判しているわけではない、という前提の下に読んでいただきたいのですが、
基本的に「脱ヲタビジネス・脱ヲタ産業は真摯にやらない方が儲かる」という問題点があります。
ファッションブランドのブランディングって本当に難しいですよね。
一朝一夕には成し得ないですし、時間・お金・宣伝などあらゆるコストが掛かる。
ある程度のブランディングに成功すると、勝手に色々なところで語ってもらえる、さらには宣伝してもらえるわけです(このブログなんかがそうです)が、そこに到達するにはとてつもない労力が必要です。
でも、それらを一足飛びに出来る方法が開発されました。
「脱ヲタ指南ブランド」を作ることです。
右も左もわからない「脱ヲタ志願者」に「これを買っておけば間違いないですよ!」などと、指南しそれと同時にオリジナルのアイテムを売るのです。
脱ヲタ指南を受けたユーザーは「これを着れば正解です」と教えられているわけですから、当然、正解に当たるそのアイテムを買ってしまうという。
普通、出来たばかりの無名ブランド、しかも低コストで格安に作られた洋服など、wearでウェアリスタがステマでもしないかぎり誰も買わないわけですが、この「脱ヲタ指南」とセットになることによりこの「ブランディングの壁」をあっという間に乗り越えられるというわけです。
脱ヲタ指南なら「無言で語る」というブランドのお約束をぶち破れる
普通に考えて「世間的に通用するそれなりの服」を「いきなり低コストで」作ることは不可能です。
ユニクロなりの大規模生産背景があって初めて可能になる話でしょう。
しかし、脱ヲタ指南の場合「世間的に通用するそれなりの服」ということは必要ありません。
なぜなら「これは世間的に通用しますよ」と言葉で説明してしまえばいいからです。
これは普通のブランドには出来ないのです。
ユニクロが「これは世間的に通用しますよ」などと自ら言葉で説明することはありません。
外人モデルなりを使って、ファッショナブルな広告やらCMなりを作り、無言で「これは世間的に通用しますよ」と伝えるわけです。
大抵のブランドのHPに飛んでも「これを着ておけば間違いないですよ!」などという恥ずかしい言葉は並んでいません。
デザイナーがそんなことを語ることもありません。
彼らは、「この前外国に旅に出てインスピレーションを得ました」とかしか言いません。
「これ着たらモテますよ!」とかそういう恥ずかしい文言は店員に言わせるか、取扱店のHPで語らせるのです。
決してブランド自身はこれを着れば間違いない!とか言ってはいけないのです。
それを言ったらブランドの世界観とか、お洒落感とかが崩壊すると分かっているからです。
しかし脱ヲタ指南になると何故かこれが可能になります。
ちょっと楽天とかでメンズファッションランキングでも見て、それっぽいアイテムのページに飛んでみてください。
「とてつもない量の文字量」が見れるはずです。
そう、脱ヲタ指南はとにかく語る、語る、語るのです。
いかにこのアイテムが万能か、間違いないか、素晴らしいか、モテるのかを語るわけです。
ファッションブランドの「語らない」というお約束を破れる上に、「ちょっと親切な感じ」もして、飛びついてしまうのでしょう。
脱ヲタ産業は基本的に脱ヲタループから抜け出せないように作られている
しかし、これはいわば「本来はちょっと足りない服」を言葉面だけでカバーしているに過ぎませんから、このようなアイテムを買っても大抵お洒落どころか普通にすらなれないわけです。
真摯にユーザーをお洒落にしようと服作りをすると、ある程度品質の良いモノを安く作ろうと思うと大規模な生産背景を整える必要があり、素材やシルエットに妥協をせず作ると高くなる、という当たり前の壁にぶち当たります。
それを打ち崩すためには、客観的に見るとむしろ「ヲタっぽくない?」というようなアイテムを言葉言葉言葉で売ってしまうわけです。
そもそも、本当にユーザーを脱ヲタさせたいのならば、安くて普通以下の服を作るなどという「志の低いこと」をわざわざしなくても既存の洋服で十分可能なはずです。
わざわざそんなものを作るのは「脱ヲタに言葉巧みに売りつけて儲けよう」ということにほかなりません。
脱ヲタビジネスは真摯にやらないほうが儲かるのです。
誤解を招く脱ヲタ指南の決まり文句
このような脱ヲタ産業をアシストしてしまっているのが「お洒落にお金を掛ける必要はない」という脱ヲタ指南の決まり文句です。
「センスと工夫があれば、安い服だってお洒落になれる!」というやつです。
これは真摯な脱ヲタ指南にも絶対に書かれていることです。
たしかにそれは事実です。
たしかに可能です。
しかしそれは、この文言が言っているように「センスと工夫が必要」という、簡単か難しいかで言えば、難しいことなのです。
何故か「安い服でもお洒落は出来ますが決して簡単ではありませんよ」
あるいは「高い服も織り交ぜるとより難易度は下がりますよ」という真実は大抵の場合伏せられます。
私はこれはあまりフェアではないと思っています。
こういうことで「センスと工夫は私が提供します」ということになるとは思うのですが、やはり安い服のみでお洒落を実現する難易度についても説明すべきなのではないでしょうか?
これと同時に、同じ言葉をベクトルの違う方向で使う人達もいます。
ネットには高い服で固めた、メチャクチャダサい人の画像と、ユニクロで固めた外人風の画像が比較画像としてよく貼られます。
あれをドヤ顔で貼る趣旨はおそらく「お洒落なんて結局顔とスタイルで決まるんだから、いくら金と時間をかけても無駄」的なものでしょう。
しかしあれもまた、「顔やスタイル」といった「素養」のない人は、何を着てもサマになるということはないのだから、逆にシルエットにこだわるなど洋服にある程度お金と時間を掛ける必要がある、という逆説的真理を(あえて?なのか気づいていない?のかは不明ですが)伏せて語られています。
これらを真に受けてしまうと、「安い服を使ってお洒落する!」という、金銭面を除くと非常に難易度の高いことに挑戦させられることになり
大抵の人は、引き上げられた「ダサい」のハードルを超えられずに「脱ヲタ失敗」ということになります。
このように「脱ヲタ」というのは考えれば考える程蟻地獄のようになっており、どこに罠が仕掛けられているのかわからないような様相を呈しているわけです。
脱ヲタしたい人を騙すつもりなんてさらさら無い「脱ヲタに真摯な人たち」の言っていることもてんでバラバラです。
「雑誌を読んでもお洒落になれない」と言ってみたりしますが、その当人は雑誌を見て情報を仕入れ、お洒落を語ったりしています。
ここらへんかなり思うことがあるので
「脱ヲタ指南で何故脱ヲタ出来ないのか?」の続きはいつかまた書きたいと思います。
スポンサーリンク