学歴って何なのか?深く考える必要はない、学歴とはただのファッションだ。「学歴の上に積み重ねた信頼」は、学歴とともに崩れ去る?
どーもナル男です。
まったく時事ブログではないのですが、ナル男の周りでも議論を巻き起こしている「ショーンK学歴詐称問題」をい・ま・さ・ら、取り上げましょう。
ショーンK氏については、現在まで批判、擁護入り混じって色々な方が意見を言っています。
その中の1つによると「世の中肩書じゃない!」ということらしいので、このブログ上ではただのブロガーに過ぎないナル男も口を挟んでみましょう笑
学歴とはファッションである
学歴とは何か?
一言で言えば「ファッション」です。
こう言うと怒り出す人がいるかもしれませんが、逆に聞きたいのですが学校で教えてもらったことで今現在の仕事をする上で必ず必要だった、というものは果たしてあるでしょうか?
そんなことはない、◯◯という知識は今の仕事の基幹となる必須の知識だ、と言う方も中にはおられると思いますが、それらは塾・予備校などの「学校ではない外部機関」では絶対に学べないのでしょうか?
また本を読んで独学では学べないのでしょうか?
そのような「『学校』という組織自体が排他的に独占している知識・ノウハウ」というものは実は物凄く少ないのではないでしょうか?
ほとんどの方は参考者などで半ば独学で勉強し、あるいは塾や予備校で教えてもらい、それを学校の入試や単位認定テストなどで「認定」してもらい、それによって役立てているだけではないでしょうか?
つまり学校というのは「教育機関」であることにその本質があるのではなく、「学歴を認定するという権威を持っている」というだけの存在なのではないでしょうか?
(だからこそ「学校の先生」にも多少権威があるのです)
学歴とは学校という権威が与えてくれる、ブランド価値のおすそ分けであり、ファッションなのです。
学歴をファッションである、などと言い切るとまるで
「学歴が全く役に立たない不要なもの」であるかのように思われますがそうではありません。
学歴には「推定機能」があります。
学歴は「推定」機能を持つ
学校という権威機関はタダでは学歴を認定してくれませんから、もちろんお金を取られるということもありますが、
あらゆるテストというものをくぐり抜けないと学歴をくれません。
ここに学歴に「あの学校を出たんだからこれくらい頭は良いはずだ」という
「推定機能」が付与されることになります。
「推定」とは、あることを他のことから推測することを言います。
実は「学歴があること」と「その人が頭が良いこと」は、
=ではない、というのはほとんどの人が実感として持っていることではないでしょうか?
(そもそも、「=」というのは入れ替えても成立するので、学歴があるから頭がいい、頭がいいから学歴がある、がいつも成立するわけもなく、変な話なのですが)
よく、サスペンスドラマなどで、事件の筋書きを刑事が推理して披露すると、必ずと言っていいほど犯人は
「馬鹿馬鹿しい!そんなのはただの『推測』じゃないか!」と反論しますよね。
そう、推測に過ぎないですから、本当にそうだとは限らず、他の事実により覆されることもあるのです。
(もっともサスペンスでこの言葉を出すのは「はい、私が犯人です」と白状するようなものなのですが)
ただしこの推定はなかなか強力です。
私達はその人の外見や服装、髪型などファッションから色々なものを推測します。
半ば勝手に、強制的に推測されますよね。
この人はモテそうだなとか、モテなさそうだなとか、清潔感があっていい人そうだなとか、チャラそうだなとか。
「ちゃんとしてそう」なんて本当に勝手に推測され、推定されますよね。
しかし一見誠実そうな推定が働く人が、実は不倫しまくりだったりするわけですが…。
(これが「推定は破られる」ことの例です)
学歴というのはそこらへんを歩いていて外見的に表示されることはまずありませんが、ある程度付き合っていくと自然と伝わってしまうものですよね。
彼氏や、何年も一緒に働いている同僚の出身大学を知らないとかはあまり無いと思います。
(もちろん人によりますが、自分で言ってくる人もいれば、言わない人もいますし、わざわざ人の学歴を調べてくる人とかもいますよね)
そして「東大だけどあまり頭は良くない」などと東大の持つ強力な推定を覆された人、というのはあまりいないのではないでしょうか。
もちろん、影で言うことは簡単です。
日本において東大というのは一応完璧な学歴ということになっていますから、その分やっかみも多く「あいつ東大だけどそこまで頭の良さは感じないよな」などと居酒屋で言われている人はたくさんいるでしょう。
しかしそれはアンオフィシャルな場面に過ぎず、公式にその推定を覆すのはなかなか難しいことなはずです。
踊る大捜査線で東大出身の警察官僚が、東北大出身の室井さんに「勉強しておいて良かった~」と嫌味を言いますが、これは「簡単に覆せない推定であること」を揶揄しています。
もっとも、強力な推定は出来るものの、「証明」までは出来ないのが学歴の難しいところです。
学歴はその学校を卒業したこと、以外の「証明」にはならない
「証明」とは、あることが真実・事実であることを明らかにすることを言います。
学歴は「頭が良いこと、すなわち『コイツは使える』こと」を推定はしてくれますが、
証明まではしてくれません。
学歴が証明してくれることは「その学校に入学し、卒業したこと」だけです。
(このことが様々なことを推定してくれるのですが)
だから例えば民間会社に入るとして、入社試験ではある程度、入社後の自分の実力の片鱗とやらを「証明」しなければなりません。
「私はこんなに御社に貢献出来ますよ!」という証明を課せられるわけです。
(まあこれも厳密には「推定」に過ぎないのですが…そしてその推定に学歴は多大な効果を発揮します。)
会社に入った後も「自分がいかに会社にとって役立つか?」を証明し続けなければいけません。
特に、大学卒業後というのは学歴的にはそう大差のない人が集められる事が多く、同質性のある集団だからこそ、どこか抜きん出るためには証明し続ける必要があります。
取引先にも「私は御社にとってとても利益になる人間です」と証明しつづけ
女の子には「俺は君が付き合うべき男だよ?」と証明しつづけ…
おっと話が逸れました。
たまに学歴が何かの「証明になる」ものだと思い込んで、絶対的なものだと言うような人がいますが、
そういう人が学歴を誇っていること自体が「学歴で推定はできるが、証明まではできない」ことの裏返しです。
証明が済んでいるのであれば、ことさらそんなことをする必要はないのですから。
学歴自慢というのは「推定しか出来ない学歴というもので、無理矢理証明までしようとする行為」なので、やめた方がいいですね。
客観的に見て意味のない行為ですし、下手をすると「俺には学歴しかありません」という推定が働きますので…。
学歴の推定機能は強力だから利用しない手はない
ただ学歴はなかなか強力な推定能力があることは厳然たる事実です。
「学歴意味無い論」は、無数にあるわけですが、学歴という推定なしで何かを証明し続け、信頼を積み重ねていくことは容易なことではありません。
(もちろん無理というわけではありません、簡単ではないだけです。)
純粋に「無いよりあったほうがお得」だと思うので、若い、お金がある、時間があるという場合は学歴を揃えておくのは有用でしょう。
だって、さんざんアホそうなことをやっても「あの人あの大学卒らしいよ…」と知られた時点で「実は凄いんじゃないか?」とか思ってもらえることって多いじゃないですか?
選挙になるとやたらアメリカあたりのよくわからない学歴をズラズラ掲げる人多いですし。
余談ですが高学歴には「昔はアホなことばっかりやっててさ~」とか言う人多いですよね。
あれは高学歴から推定される「勉強ばっかりしてきた『ガリ勉』」というイメージ、推測を覆したいんでしょうね笑
ドラゴン桜冒頭で、主人公桜木は、「バカとブスほど東大へ行け」と言い放ちますが、学歴とは最高のファッションなのです。
勝手にその人が「頭がいい」と推測してくれる便利なものなのですから。
世の中にこんなにも簡単に「それなりの外観」を与えてくれるジャケットも靴も時計もありませんよ。
ただし、学歴にあるのは「推定機能だけ」であることを肝に銘じておきましょう。
そこから先、証明すべきことは多いのです。
人生は証明の連続。
むしろ人生は何かを証明することなのかもしれません。
そして結局どこかで学歴という服を脱いで、裸で勝負しなくてはいけない時がきます。
ショーンKは、何を間違ったのか?
ショーンK氏に対する擁護は多いですね。
本当に多い。
「彼の意見はちゃんとしていたし、他のコメンテーターより良かった」
「新しい知識を与えてくれていたし、役に立ってたよ」
それらが間違いとは思いません。
コメンテーターの仕事が「ニュースという『事実』に『こういう見方がある』という『視点』を与えるもの」だとすると、
彼よりその仕事を全うしていたコメンテーターというのはいないのかもしれません。
(個人的には木村草太氏の方が非常に論理的で好きなのですが)
私の知り合いにも「ショーンK出てないから報ステ見なくなった」という人がいます笑
しかし、「コメント力は確かだから、学歴詐称でも問題ない」ということで、報ステに彼が出続けたら、違和感しかないと思いますし、それを分かっていて彼は辞めたのでしょう。
彼は、学歴(と経営コンサルという肩書の実態)以外様々なことを仕事において証明してきたのだと思います。
いくつもの信頼や信用を積み重ねてきたことは彼への擁護の多さから分かります。
そもそも調べれば割りとあっさり分かる彼の学歴を、誰も調べようとしなかったことが、彼の積み重ねた信頼の大きさを示唆しているともいえます。
しかし…。
それらは「学歴」というものの上に積み重なったものなのです。
一緒くたにすることも出来ませんが、全く別のものとすることも出来ません。
例えば彼が、野菜ソムリエという資格をHPに掲げていて、それが嘘・詐称だったとしても大して問題は無かったでしょう。
報ステに出て、経済や政治についてコメントすることとは何ら関係がありません。
しかし、報ステに出て、経済や政治についてコメントする、ということを任される信用を得る上で、学歴は少なからず効用を発揮してしまっていたのです。
全てはハーバードMBAという学歴の上に積み重ねられた信用ですから、
それが嘘だった以上、同じように仕事を続けることは無理です。
ダイヤモンドユカイが何大卒業だろうがあまり問題になっていないのは、ダイヤモンドユカイは学歴の上に信用を積み重ねてきたわけではないからなのです。
(多少見栄っ張りというレッテルは貼られるかもしれませんが)
「だって学歴が無かったら経済語っても誰も信用しないだろ?嘘を付くのは仕方なかった」という見方も出来ますが
コメンテーターというのは、司法試験に受からないとなれない弁護士とか、医師のような職業とは違って、何の資格がなくてもなれるのですから、信頼を積み重ねる方法を誤ったとしか言いようがありません。
(とはいえ何らかの肩書が実質的に必要なことは重々承知しています)。
ショーンK氏にとっては、流暢に経済を語る上で学歴なんぞ本当に見せかけだけのファッションに過ぎなかったわけです。
だって「本当は無くても出来た」んですから。
彼は「学歴なんて『ファッション』だ」ということを十分分かっていたのです。
頭のいい彼ですから、学歴の本質をよく分かっていた。
だから、「学歴をなめていた」んです。
どこか高をくくって、ハーバードMBAというジャケットを羽織り悠然と闊歩していた。
しかし、身ぐるみを剥がされた以上、裸でTVに出るわけにもいきません。
大の大人の裸を見せられ続けるのはこちらも目のやり場に困ります。
彼が言葉を発する度、心の何処かで何か引っかかってしまうはずです。
ショーンK氏もTVに出て裸でコメントする、その恥ずかしさを重々承知しているからこそ、あっさり番組を降りたわけです。
本当に彼は嘘つきであること以外はよく出来た人間であると思います…。
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学歴に対するコンプレックス
しかし本当に皆「学歴」というネタが大好きですよね。
学歴がある人もない人も、一家言持っているというか。
「学歴意味ないとか言えるのは学歴あるやつだけだよ?」なんて言う人もいますね。
(論理性皆無であることが多いのですが)
ナル男のように学歴に対してある種ドライな態度を持つことすら「それは学歴あるから言えるんでしょ?」とか「本当は学歴コンプだからそうやって距離感取ろうとするんでしょ?」など、勝手に色々な見方がされてしまいます。
前に何かで書いたと思いますが、学歴というのは「差別」を生む要因になるものです。
それは大げさにしても、学歴がある人というのは「学歴ってのは何よりも大事なんだよ」と言いたいのが本音でしょうし、
学歴がない人というのは「学歴ってのはそんな重要じゃない」と言いたいのが本音でしょう。
こないだテレビで面白い実験をやっていて。
大学生の男女を集めて、2チームに分けるんですよ。
そうすると、「これから2チームで競争してもらいます」なんて一言も言っていないのに
「向こうのチームに勝ちたい」とか言い出すんです。
勝ち負けつける、とか言っていないのにですよ?
まあTVなので好ましい画を撮るためのヤラセという可能性もありますけどね笑
人間というのは、「自分が他人より優れた人間であること」を証明しようとする本能があるんですね。
だから、自分が所属するチームが勝つことが、自分が優れていることの証明になるから、相手チームに勝とうとする。
学歴を持っている人が、「学歴を持っている人たち」の集団を優秀なのだと言いたいというのが、人間の本質から考えると「本音」であることが多いのは確かです。
世の中の仕組みが大抵高学歴有利にできているのは、これを制度として固定化させたいということでもあります。
世の中の仕組みを作る側の人間は、大抵高学歴ですしね。
しかし、表面上は学歴がある人ほど「学歴なんてそんな重要じゃないよ、人間中身が大事」などと言いますし、
学歴が無くて成功している人ほど「なんだかんだ学歴ってえのは大事なもんなんだよ」などと言いますよね。
そう言わなくてはいけないような「空気」すらありますし…。
そこらへんがまさにコンプレックスの語源をひも解きたくなるような
複雑さを見せているものです。
まあ人それぞれ立場ってものがありますし。
いい人に思われたいですし。
学歴の話題なんてわざわざ出さなくても良いんじゃないですかね?
前記したとおり、権威のある学校が付与してくれるから学歴に推定機能が生まれ、この推定機能があるからこそ学校に権威が付与されるというのは不毛の極みでもあります。
学校と学歴というのはいわば共犯関係にあります。
いや本当に冷静に考えるとくだらないシステムなんですけど、
このシステムは社会の制度を作る高学歴側によって固定化されてますからもうどうしようもありません。
その不毛さを語ることすら不毛なこととされてしまっています。
そう、どれだけ学歴を批判したところで、この高学歴優位な制度・システムは高学歴が作っている限り変らないですし、批判するのは時間の無駄なんですよ。
学歴無いなら、違う方法で信頼を積み重ねる他ありません。
どうせ学歴があっても、難易度は違うにせよ証明しなくちゃいけないことの連続ですよ?
学歴あればラク出来た、なんて幻想は捨てて、証明を続けましょうよ。
学歴あるなら、学歴を自慢してその重要性を説くなんていう
「推定をゴリ押しで証明まで持っていく」みたいな、無意味なことやめましょう。
ほんと深く考える必要なんて無いですよ学歴なんて、ただのファッションですから。
と言いつつ、6800字のブログを書くナル男なのでした。
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