どーもナル男です。
最近立て続けに「オシャレの教則本」なる本が出版されてるな~と思い、比較すると面白いな~と思いました。
できれば服にお金と時間を使いたくないひとのための一生使える服選びの法則

できれば服にお金と時間を使いたくないひとのための一生使える服選びの法則
- 作者: 大山旬
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2015/06/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本を知ったのはcakesの記事が最初ですね。
僕はcakesの有料会員なので、全記事読めるのですが、無料会員でも読める部分で、こう始まります。
あなたは次の項目に心当たりはありませんか?
・服はスーパーや量販店で買うことが多い
・学生時代と着ている服がほとんど変わらない
・洋服のサイズはゆとりのあるもののほうが着やすくて好き
・母親や奥さんに服を買ってきてもらっている
・シンプルな服よりも、デザインにひと工夫のある服にひかれる
・5年前に買ったヨレヨレの服を今でも着続けている
・一目惚れで買ってしまったけど、着なくなった服がたくさんある
・フリルがついているかわいらしい服が好き以上に挙げたのは、街でよく見かける「イマイチな服装」の例です。
タイトルからしてそうなのですが、要は「ファッションに自信は無いけど、せめて人並みにおしゃれ、程度の格好はしたい」という層向けに書かれた本であり、連載ですね。
これって前に紹介した清水千広ことMB氏の「最速でおしゃれに見せる方法」と何が違うのでしょうか?今日は「両者の違い」に注目してみようと思います。
実は両者は細かいところでも大きいところでも主張が似ている
両者は「腕まくり・ロールアップ」とか細かいところでも結構似たことを言ってるんですが、実は大筋な部分でも主張が似ています。
まず「ファッションは『センス』という感覚的・抽象的・属人的要素ではなく、具体的・客観的に公式化することが出来、だれもがその公式を使うことでオシャレになれる」みたいなことですね。
大枠はこんな感じに見て、間違いない。
ルールにさえ従えば、オシャレになれるということです。
おそらく「ファッションがわからない」「どんな服を、どう着たら良いのかわからない」というのは≒「きっと俺にはセンスが無い」という諦めに近い感情でしょうから、そういう人が手に取りやすい。
男は「ルール」「ロジック」「メソッド」「公式」「法則」「理論」みたいな言葉が大好きなので「センスなんていう感覚的な言葉じゃなくて、そう言ってくれると分かるよ」って人も多いんでしょうね。
実はこれって「恋愛」という非常に感覚的・属人的・抽象的なものを「工学」なるものに落とし込んだ(私はあれを工学とは言わないとは思いますが)、藤澤数希氏の『恋愛工学』に近いと思います。
これからの男向け市場は、文系的な感覚的抽象的なものを、そうやって公式やら工学やら、なんとなく理系の香りがするものに落とし込んでいくのが流行になるんでしょうね。
アマゾンで見ると、「一生使える服選びの法則」の方は、 藤澤数希氏の恋愛工学本とよく一緒に購入されています、ってのは何かウケます。
藤澤数希氏についてはまた今度ブログで述べます。
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両者が「読者に目指して欲しいレベル」は同じ?かなり異なる?
大山旬氏が読者に目指して欲しいレベルというのは、どうやら「ふつう」のファッションということらしい。氏曰く、ファッションとは「自分のため」にするものではない、「他人のためにする」ものらしい。
プライベートにおいても、ビジネスにおいてもファッションで損をしてしまうことがないように最低限の気遣いをすること。おそらくこれが大山氏の読者に求めるレベルです。
ただこの「ふつう」は「60点とか65点」ではありません。
さらっと「シンプルで清潔感のある80点の着こなし」のことを「ふつう」と言っているのです。つまり「平均点よりずっとずっと高いところ」なんですね。
一方MB氏はこうです。
街ですれ違った人に「今の人オシャレだったね」と言われるくらいのオシャレを実現するのには、お金も必要ありません。
新コラム・MBの「たかが服のことなんです」第1回|たかが洋服のことなんです|コミックNewtypeより
こう聞くと、両者の読者に求めるレベルってかなり違うような、でも同じようにもに思えませんか?
大山氏は「変じゃないね」と言われる「ふつう」を標榜し、MB氏は街ですれ違った人に「オシャレだったね」と言われるレベルを読者に実現させようとしている。
なんだかMB氏の方がハードル高そうだけど、大山氏だって80点を求めているわけです。
ただ両者とも読者に明確に求めていることがあります。
「あれこれ時間を掛けて考え込んだり、お金を使うこと無く、(私が求めるレベルの)ファッションが実現出来ますよ(実現してくださいね)」という点です。
ヒョイ、ヒョイと気軽に出来てしまうレベルに到達して下さいね、ということです。
これもまた難しいような…。
ビジュアルにして見ると際立つ、両者の違い
なんだか抽象的でわかりにくくなってきてしまいましたね。
でも両者の違いは、具体的なビジュアルイメージにするとかなり鮮明です。
大山旬氏のビジュアルイメージは「無印良品のHPに載ってそうな着こなし」です。
さわやかでクリーンなイメージですね。ここには載せられないんですが、書籍のビジュ アルイメージを観て頂けると、言ってることが分かると思います。
雑誌で言うとメンズクラブとかなのかなあ。
MB氏はもうちょっと攻めてますよね。
カラーパレットもモノトーンが多いし。
はっきり言うと大山氏は自身が言ってるように「ふつう」です。
もう本当に、ふつう。
MB氏は大山氏に比べるとですけど、リスキーな感じがしますね。
妹が薦めたスキニージーンズはオシャレの出汁になる!(画像2/2)|たかが洋服のことなんです|コミックNewtype
MB氏のファッションは、攻めている分、オシャレだね」と積極的に褒められる可能性が大山氏よりも高いとは思いますが、その反面「変だよね」と言われる危険性もある感じかな。
大山氏のファッション指南は徹底的に、「自分が着たいものを着るみたいな観念は止めろ」と警告しています。徹底的に他人目線・客観的に徹しようとする。
そんな大山氏に比べてMB氏は多少「独りよがり」も許容しているように思います。
ただこれはMB氏の、ですけどね。読者の独りよがりは排除するように言っているように思います。
この違いは、別にMB氏的な「ドレスとカジュアルのバランス」の話から来てるわけでもないんですよね。ドレス・カジュアルの比率で言ったら大して変わらないんですよ。
MB氏のファッションは20代~30代前半くらい向けで、大山氏はもっと上の年齢層向け、だからという理由でも無い。
だってあとMB氏があと10年経っても、40代の人にアドバイスを求められたとしても大山氏風に変化を遂げるとは思えないから。
大山氏がクリーン一辺倒でMB氏がダーティ・ワイルドってわけでもない。
(MB氏の方が女性的だしね)
やっぱりナル男には大山氏は守りで、MB氏は攻めてるとしか表現出来ない。
大山氏は変とは言われない代わりに、オシャレと褒められる可能性はかなり低い気がします。MB氏はオシャレと言われる代わりに、変と言われるリスクがある。
ただ大山氏だって、「普通すぎ」「つまんない」と言われるリスクあると思うんですよ。
これはも両者のコレまでの経験、ファッション哲学から来るもので、どっちが上であったり下であったりするものじゃない。
でも両者とも「シンプル」とか「ベーシック」を標榜しているはずなのに、こうも鮮明に違いがでるってのがおもしろいですよね。
結局は「センス」に行き着く
で、最終的には同じ初心者向け・教則本なのに、読者はどちらかを選択しなくちゃいけないわけですか?(まあ別にこのどっちを選択しなくてもいいわけだが)
それってもうセンスでしょ?感性の問題に行き着いちゃうわけですよ。
自分がどうなりたいのか?人からどう思われたいのか?ってそこにね。
つまんない、言われようが、変とは思われたくない。なのか
一部の人に変だと言われようがオシャレと言われたい。なのか
まあつまんないってのも変だねってのも要はファッション的に「ダサいね」って言われてるわけで、「ダサいね」って言われるリスクからは逃げられないわけですけどね。
そこんとこを最後は自分で選ばなくちゃいけないわけで、結局ファッションってセンスや感性という属人的で抽象的なものから逃れられないんじゃ無いかなあって気がしてますけどね。
それでも一歩踏み出すためにはこういう本が要ることも事実
僕はこの手の「簡単に・短期間に出来るようになるよ」系の本にいつも思うのですが、じゃあ書き手はすぐに出来たのか?っていうと違うじゃ無いですか?
司法試験に1年で合格可能ですよ、と謳ってるけど、書いた人は何年も何年も勉強を重ねて「こうすれば簡単だ!」と自分の中のノウハウを確立したわけですよね。
何年とか十数年とか掛かって築き上げたノウハウを違う誰かで再現することが、本人より短期間で出来たとしても、それってせいぜい3分の1とか2分の1とかってレベルであって、10分の1とかましてや100分の1にできるものってほとんとないんじゃないかと思います。
大山氏もMB氏も、初心者向けにかなりレベルを下げているはずで,「自分のようにはなれなくてもこのくらいにはなれるでしょ」と思ってるとは思うんですけど、それでもそこにほんとの初心者が到達するのは、本を読んでからすぐ、なんてのは無理で数年は掛かるんじゃ無いですかね。
ただそれには「とにかくスタートするしかない」のも事実なわけですよ。
そのとき「ファッションって言うのはそんな簡単なものじゃありません、こんな本なんて読むだけじゃ駄目で、駄目な例良い例を山ほど見て、実際試着して、お金もたくさん使って経験を積んで、やっと感性やセンスといったものが育つのです」なんて言ったら誰も始めないわけじゃないですか。
だから、こういう背中の押し方もアリなのかな。
誰しも最初は雑誌の「簡単だよ」がスタートだったりするわけで。
最後に、ナル男は恋愛工学も含めてこの手の本に思うのですが「俺の言うとおりにしとけばおしゃれになるんだよ」っていう本音が本当にないのかな?と意地悪なことを思ってしまいます。
それって彼らのセンスに依存する、極めて属人的なものから生まれた発想ではないか?とも思うのですがね。彼らの公式を覚えても、どんどん演習を重ねないと決して計算ができるようにはならないですし、そうしているうちに自分なりにベストの公式が見つかる、オシャレになるってそういうことでは?
まあこの辺は、またいつか書きたいと思います。
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