ずっと考えていること、果たしてドレスとカジュアルのバランスを考えるだけで、お洒落になれるのだろうか?
「ドレス」と「カジュアル」だけだと何か納得出来ないことが多い。
— ナル男 (@narcisman07) 2015年11月15日
「キメキメ」「チャラチャラ」「ワイルド」「クリーン」これらはドレス要素なのかカジュアル要素なのか?無理やり分類も出来るが。
人が他人のファッション見て受ける印象ってドレスだな、カジュアルだなとかよりこんなんだよね。
どーもナル男です。
今日は今書きたいことが、調べ物などが多くて、ちょっと手間取りそうなこともあって、それを棚上げし(要は放り出して、笑)前から考えている「ドレスとカジュアルのバランス」論について書いてみたいと思います。
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ドレスアップ、カジュアルダウンという古典的技法とは何が違うのか?
ードレスとカジュアルのバランスを7対3にすることがメンズファッションにおいて最も重要であるー
こう提唱して一躍メンズファッション界で有名になったMBこと清水千広氏。
最近本当にいろんなところでドレスとカジュアルのバランスに関する記載が増えたのですごいなあと思っております。
いろんなサイトがまんまMB氏の台詞を言い出してますけど、あれは監修なんでしょうか?パクリなんでしょうか?
このブログも始めた当初、触れざるを得ないと思って率直に思ったことを書いたのですが、ナル男の書き方も悪かったのか、某所ではすっかりアンチMBなどと言われてしまっているようです。
そんな批判しましたっけ?(すっとぼけ)
まあそれは何かを発信したら、どう受け取るかは読み手次第ということでもあるので、ある意味仕方のないことなのでどうでもいいのですが。
MB氏的ドレス・カジュアル=7・3の正体
で、よくMB氏のドレスとカジュアルのバランス論で言われるのは
「そんなの昔からお洒落な人は皆やってたわ」ということだと思うのですが、そうでもないと思うんですよね。
ドレスが7でカジュアルが3っていうバランスの取り方を、昔から皆ほんとにしてたかな?と。
だとすると、MB氏的なニュアンスのファッションの人が従来からもっといないとおかしいと思うんですよね。
MB氏のファッションのニュアンスって、一昔前のディオールとかハイブラ好きな人のバランスの取り方だと思うんです。
あそこまでではないかな?
誤解を恐れず言えば、典型的にはモノトーン基調で、セットアップにインナーはジャージでカジュアルダウン(とはいえ8万のジャージ)、靴はハイカットスニーカー(とはいえ5万のスニーカー)みたいな。
これを少しだけ緩和した感じだと思うんですよね。
どう緩和されているか?というと、一言で言うと、ハイブラ風ファッションを、ハイブラを使わずに再現するというか。
そこで若干シャープさが落ちる感じで。
出典 http://www.selectsquare.com/beautyandyouth/g2354976/
で、それはハイブラ好きな人たちの独特のバランスの取り方であって、別に一般的なドレスアップとカジュアルダウンとも違うと思うんですよね。
さらにさらに誤解を恐れず言えば、MB氏的ドレス・カジュアル=7・3っていうのは、「一昔前のハイブラ好きの人たちの独特のバランスの取り方」であって、厳密にはドレス7・カジュアル3で再現出来るものではないんではないかな?と。
つまり一つのファッション的なニュアンスに過ぎない、と思うんですよ。
これは大山氏とMB氏の比較記事を書いた時も思ったんですが
大山氏の提唱するファッションって、古典的な「ジャケパンスタイル」だと思うんですよね。
これも誤解を恐れずに言えばですけど。
出典 http://www.selectsquare.com/jpress/g2534600/
カジュアルながら、これできっちり働いている人も多数いる、という「ドレス10」であるスーツスタイルをカジュアルに崩したジャケパンスタイル。
「オフィスカジュアル」では、おそらく最もドレス度の高い格好でしょう。
これって、ドレス7、カジュアル3とも言えるんじゃないでしょうか?
まあせいぜいドレス8カジュアル2と言う人もいるという感じではないでしょうか?
さらに例えばこれじゃドレスに寄り過ぎだからと言って、ボトムスをデニムにしてみて調節をしても、MB氏風のファッションには多分ならないと思うんですよ。
おそらくMB氏が読者にして欲しいファッションって、こういうジャケパンスタイルじゃないですよね?
とすると、MB氏ファッションの構築において、実はドレスとカジュアルのバランスって本当に必要な要素ではないんじゃないか?とすら思えてくるのです。
MB氏の代名詞である黒スキニーであるとか、そういうアイコン的な、具体的なアイテムが重要であって、ドレスとカジュアルという抽象論から構築するものではないんじゃないか?と思うんです。
MB氏的なファッションを、ドレスとカジュアルに分解するのであれば、確かにドレス7カジュアル3といえるのかもしれません。
しかし、ドレス7カジュアル3でファッションを構成しても、なかなかMB氏風ファッションにはならないと思うのです。
MB氏のファッション→ドレス7対カジュアル3は成り得ても
ドレス7対カジュアル3→MB氏的ファッションは、常には成り得ない。
論理学的に言うところの「逆は常に真ならず」です。
MB氏のファッションと、ドレス7対カジュアル3。
両者の関係は決して=で結ばれるものではないんです。
なぜなら=で結ばれるなら入れ替えても成立するはずだからです。
ナルシスト発言の真意
最初にMB氏についての記事を書いた時、恐れ多くも
ただ1つ、これは言っておかないとなという注意点があります。
MB氏のドレス・カジュアルバランスはドレスに寄りすぎではないか?と思うことが多々あります。
ということはどういうことかというと、
「うわーナルシストだなあの人」
と思われる危険性があるということなのです。
などと述べてしまっているわけです。
で、ナル男のこの違和感というのは「実はドレスの比率が高すぎることから来ているわけではないのではないか?」とあれから考え直すんですよね。
一昔前のハイブラの人達に、ナル男は同様のちょっとした違和感を感じていたのですが、それは果たして「ドレスに寄り過ぎ」だったからなのか?と言うと、ちょっと違うと最近は思い出したんですよね。
前述のとおり、ドレスとカジュアルで、むしろドレス要素強めのはずのジャケパンスタイルに「ナルシストに見える」とは思わないと思うんですよ。
むしろ「ちょっとオジサンっぽい」とか「良い子すぎてつまんない」的な感想だと思うので。
やっぱり、MB氏のファッションから感じる「攻めている感じ」「お洒落感が強すぎる感じ」がちょっとナル男には違和感に感じるのかな?と。
バランスの取り方って人それぞれだとは思うんですけど、どこか気恥ずかしさもあって
「ちょっとお洒落すぎるなこれは…」というバランスの取り方って絶対あると思うんですよ。
抑えちゃうというか。
「お洒落だね」って言われるのって、実はそんなに難しくないと思うんですよ。
ファッショナブルな格好って、要はお洒落過ぎる感じを抑えなければ良いと思うので。
でも多くの人はそこでバランスを考えてしまうと思うんです。
これを抑えずに100%開放すると、ドン小西になると。
抑えすぎると「つまんない」となるわけです。
このバランスは非常に難しく、個々人のキャラクターに大きく依存すると思うのです。
昔ドン小西さんが、某イケメンお笑い芸人に「君みたいな売れっ子が、そこらへんの大学生みたいな格好をしているんじゃないよ」と言っていたのを思い出すのですが、芸能人なら許されるファッショナブル開放度というのもあるわけです。
個人的なことを言えばナル男はキャラクター的に「ほんとチャラいよね」と言われるタイプです。
皆とお揃いの制服・ジャージを着ていても言われると思います。
これは主に、首から上の問題なので、首から下は無意識的に「抑えめ」なのかもしれません。
ナル男にはナル男のバランスがあり、それは万人に適用出来るものではないでしょう。
この「ファッショナブルさをどこまで開放するか?」という点で、ナル男はMB氏のバランスはナルシストに見られてしまう危険性があるのではないか?と思う、と述べたわけです。
僕らは常にバランスを取っている
実は僕たちは意識的か無意識的か、ファッション的なバランスを取っていると思うんですよね。
例えば多くの人はギャル男やホスト系ファッションに眉をしかめると思うのですが、それはその「キメキメ感」が行き過ぎていると感じるからだと思うのです。
でも、彼らを行き過ぎと思う一方で、自分はというと、あらゆる要素を抑えすぎている、こういう人が多い気がします。
「男が髪セットするとか、やり過ぎだわ」
お年を召した方でなくても、このような考えの若者はたくさんいます。
「服に気を使うなんて馬鹿らしい」
こういう人もいますね。
そういう人は「あいつナルシスト過ぎだろ」とか「キメキメ過ぎてキモい」などと言われるリスクはありません。
一方で「つまんない」「地味すぎ」などと言われるリスクは負っているのです。
「ここまでは開放していいんだよ?」
こんなことは誰も教えてくれませんから、「じゃあ開放させずに抑えたまんまにしておこう」などという人も多いと思います。
おそらくMB氏がこんなにも支持されたのは、その「誰も教えてくれなかったバランス感」について具体的に教えてくれる気がしたからではないでしょうか?
「お洒落」になりたいなら、常にバランスは考え続けなくてはいけない
しかし、MB氏が教えてくれるバランスは、「MB氏のバランス」でしかありません。
前述した通り、ドレス7カジュアル3と抽象論から構築していっても必ずしもMB氏ファッションにはなりません。
それはMB氏本人さえも言語化出来ていない、MB氏のニュアンスなのです。
MB氏と同じスタイル、趣向、顔、価値観の人はいないわけですから、MB氏のコスプレではなく、いつか「自分のバランス」を手にしなくてはいけません。
自分がしたいバランスってなんなのか?そして自分のキャラクター等を考えた時、どうしたらそのバランスになるのか?
常に考える必要があるわけです。
そもそもお洒落ってなんでしょう?
「より洗練された、なりたい自分になること」ではないでしょうか?
ということは、そこに自分がいないのは本来おかしいことなのです。
ドレスとカジュアルの軸に縛られなくていい
そこで考えるバランスは「ドレスとカジュアル」だけではありません。
むしろドレスとカジュアルに分類出来ない要素を、考えることになるのではないでしょうか?
お洒落になる、という定義次第なのかもしれませんが、本気でお洒落になりたいと考えた時、絶対にぶち当たるのが「実はファッションにはドレスとカジュアル以外に多様なバランス要素がある」ということだと思います。
「ワイルド過ぎて高感度下がる?」
「もうちょっと清潔感を出してクリーンな感じがほしいな」
「チャラく見えないかこれ?」
「もう少し爽やかさを出そう」
などなどなんでも良いのですが、これらの普段素朴に感じている感覚的要素を無理矢理ドレスとカジュアルに当てはめて、何対何だなどと考える必要はないのではないでしょうか?
(さらに言うなら、言語化する必要すら無いのかもしれません。ファッションには言葉に出来ない領域が確実に存在します。それがニュアンスです。)
ドレスとカジュアルのバランスは、ファッション的なバランスの1つの対立軸に過ぎず、本当はもっと色々な軸があるはずなのです。
それらの様々な軸でどうバランスを取っていくか?を考えこそすれ、その要素を「これってドレス要素?」「それともカジュアル要素かな?」などと無理矢理ドレスカジュアルバランスの軸に当てはめるのは、せっかく動き出したあなたのファッション的な思考を停止させ、退行させてしまうのではないでしょうか?
はっきり言ってそこまで考えが動き出したのに、ドレカジにばかり当てはめて考えるのは、もったいないと思います。
ドレスとカジュアルの話は、そのような思考の始まりであって、常にその思考を縛り付けるものでは無いのです。
これは、もしかしたら「そこまで服に金と時間掛けたくねーわ」という人にとっては、ストイック過ぎる姿勢かもしれません。
多くの人は洋服等外見以外にも多くの人生的要素があり、どれだけ洋服など外見に時間とお金、さらには「思考」を掛けるのか?は人それぞれです。
ナル男はそういうバランスの取り方も全然アリだと思っています。
でも「人それぞれだし」とすぐに思考停止してしまうのではなく、「俺の人それぞれって一体何だ?」と考えてみる、探してみるのも悪く無い生き方だと思います。
「何か物足りない」のは、一体何が物足りないんでしょうか?
「ちょっと行き過ぎてる」とは、何が行き過ぎているのか?
それらの主語は、ドレスとカジュアルだけではないはずです。
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